商 号 | 宗教法人妙玉寺 |
山 号 | 大宝山 (だいほうざん) |
寺 号 | 妙玉寺 (みょうぎょくじ) |
住 所 | 佐賀県佐賀市本庄町鹿子104(上飯盛) |
電 話 | 0952-24-6641 |
住 職 | 石井 智康 |
教 師 | 石井 智俊 石井 智哉 |
開山年 | 元亀元年(西暦1570年) |
開山上人 | 隆性院日就上人 |
開 基 | 石井 新左衛門 |
縁 起 | 当山は深堀公の菩提所にして長源院殿法円日能大神祇 則ち 鍋島左馬之介藤原茂里公より代々の菩提寺なり |
寺 宝 | 鍋島藩2代鍋島光茂公の土地寄進の「お墨付」 |
妙玉寺は、日蓮宗の寺で、常照院と同じく代々石井家の菩提寺として続いています。起源は、龍造寺隆信の重臣石井新左衛門が、元亀元年(1570)、隆性院日就上人を開山として、開基した寺です。
開基の石井新左衛門は、石井二男家の石見守忠次の嫡男とされています。
しかし、『石井系譜』によると、忠次の嫡男源次郎忠修の戦死後、龍造寺隆信の命により、忠修の跡を継いだ石井嫡男家の新五左衛門常永(忠修の甥)の創建と記されています。
寺号は、忠次の二男安芸守信忠の夫人(石井左衛門尉忠俊と陽泰院夫人の姉法性院の間に生まれた女子)の法名「大宝院妙玉日伝」に因んでいます。 夫人は、夫信忠との間に嫡男茂里、二男茂賢と女子を二人生みましたが、信忠の戦死後、鍋島直茂・陽泰院夫妻の斡旋により、肥前国彼杵郡俵石城主深堀中務少輔純賢 へ二男茂賢を連れて再嫁しています。このため、境内には、信忠夫妻の嫡男で、鍋島直茂の婿養子となった鍋島主水佑茂里夫妻、茂里の弟で、深堀鍋島家の祖となった 鍋島安芸守茂賢夫妻の墓があります。
なお、茂里夫人は佐賀藩祖鍋島直茂の長女伊勢龍(月窓院)、茂賢夫人は龍造寺隆信の弟長信の長女真光院です。 茂賢夫妻の墓の前には、2名の寄騎、16名の家臣の墓が整然と並んでいますが、これは茂賢の死に際して、殉死に及んだ者たちのもので、茂賢の人望の厚さを今に伝えています。